2005年12月16日

名将、天へ

仰木マジック、病魔に悔負す。

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仰木監督と云うと1988年に川崎球場で行われた逆転優勝をかけたダブルヘッダーが鮮明に思い出されます。
優勝のためには近鉄が2勝という絶対条件。
激闘は午後3時から始まり第二試合が終わったのは午後10時56分過ぎ。
第一試合は4-3で近鉄辛勝、第二試合は悲願届かず4-4の引き分けに終わった。

結果最終順位は1位西武、2位近鉄。
最終ゲーム差0.0、勝率差わずかに0.002という内容だった。

10.19決戦(ロッテvs近鉄)
http://ja.wikipedia.org/wiki/10.19%E6%B1%BA%E6%88%A6

福岡県中間市出身。
1954年に投手として西鉄に入団、すぐに野手(二塁手)に転向した。
中西太氏、稲尾和久氏、豊田泰光氏らとともに56年から3年連続日本一に貢献。
60年にはパ・リーグのベストナインを受賞。
67年に現役引退、通算成績は1328試合に出場、70本塁打、2割2分9厘の打率を残した。

現役引退後は西鉄を経て70年に近鉄入り、18年もの間、コーチ道を歩む。
87年オフに監督に就任、「トルネード投法」の野茂英雄投手らを育てた。
89年にリーグ初優勝を飾ったが、巨人との日本シリーズでは3連勝後の4連敗。
92年のシーズン終了後に勇退した。

94年にオリックス監督に就任すると当時無名だった振り子打法の鈴木一朗外野手を見いだし、登録名を「イチロー」として開花させた。
また、野手を投手に転向させたり、小刻みに継投する変幻自在なさい配は「仰木マジック」と呼ばれた。
04年に野球殿堂入り、がんとの闘病生活を克服し昨年オフに近鉄と合併した新生オリックスの監督を引き受け、球界史上最年長監督に。
今季の成績は4位、体調を理由に今オフ、監督を退きシニアアドバイザーに就任。
監督通算成績は988勝815敗53分。

監督と云う重務が高齢な身体から体力を奪い取っていた。
体調不良を理由に福岡市内の病院に入院いていたが15日午後4時10分、呼吸不全のため死去。

まだまだ若い死、正直またベンチで采配を見たかった。
本当にご冥福をお祈りいたします。
posted by もちゃ at 02:16| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 〔すぽーつ〕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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